龍ノ口での斬首を免れた日蓮大聖人は、その後、佐渡へ流罪となります。その時の日本海は荒波が寄せ、いつ出帆(しゅっぱん)できるか分からない状況でしたが、大聖人を乗せた船は、越後国 寺泊(てらどまり)より佐渡国へ渡るべく出発します。
暴風が起こり、高波が船を転覆させようとした時、大聖人は船の舳先(へさき)に立ち、自我偈(じがげ)を読誦し、波間に南無妙法蓮華経とお題目を書き記します。すると、青衣と赤衣をまとった二人の童子が忽然と姿を現し、船の艫(とも)に立って「漕げや、漕げや」と三度叫ぶと、今まで吹き荒れていた風はやみ、荒波もおさまり、大聖人を乗せた船は、まるで飛ぶかの如く進み、佐渡の松ヶ崎に無事着岸することができたと伝えられています。
その後、佐渡国の守護代である本間重連(ほんましげつら)の預かりとなり、足かけ四年、約千日間に亘り、極寒の地、佐渡島にて流罪生活を強いられました。同時に、大聖人のお姿や教えにより、佐渡の地でも法華経信仰者を徐々に増やされていったのでした。
波面のお題目
佐渡へと向かう日蓮大聖人を乗せた船はその航海中、嵐で船が転覆しそうになります。大聖人は船頭に請われ、竿で波の上に南無妙法蓮華経と書き、海を静める様子が描かれています。
青衣と赤衣をまとった子ども
青衣と赤衣をまとった子どもたちは日天子・月天子であるともいわれています。日蓮大聖人が無事に佐渡へ到着できるよう見守っている様子が表現されています。
波の中の獅子
波の中に獅子が描かれ、波の荒々しさと力強さが表現されています。