池上(いけがみ)入滅(にゅうめつ)

極寒ごっかんの地ち、佐渡さどでの流罪るざい生活せいかつや身延みのぶの厳きびしい環境かんきょうもあり、日蓮にちれん大聖人だいしょうにんはいつしか胃腸いちょうに関わる病やまいにかかります。常陸ひたちの湯へ療養りょうように向むかうため、九ヶ年くかねん過すごされた身延の地を離れます。その道みちすがら、弘安こうあん五年九月十八日、東京 池上いけがみ、池いけ上がみ宗むね仲なか公こうの館やかたにご到着。

日蓮大聖人は自みずからの寿命じゅみょうを悟り、池上いけがみの地ちで入滅にゅうめつする覚悟かくごをされ、弟子でしや檀だん信徒しんとに形見かたみ分わけをされます。そして、六老僧(ろくろうそう)(日昭(にっしょう)・日朗(にちろう)・日興(にっこう)・日向(にこう)・日頂(にっちょう)・日持(にちじ))を定さだめ、遺骨(いこつ)は身延山に埋葬(まいそう)し、輪番(りんばん)で守護(しゅご)することを言い残されました。また、心残(こころのこり)であった帝都(ていと)(京都)弘通(ぐつう)を、十四歳の経一丸(きょういちまろ)にご遺命(いめい)されます。

十月十三日朝、枕辺まくらべには日蓮大聖人ご染筆せんぴつの大だい曼まん荼だ羅らご本尊ほんぞんを掲かかげ、弟子でし檀だん信徒しんとの見守みまもる中なか、六十一年のご生涯しょうがいを閉とじられました。日にっ昭しょう上人しょうにんが打うち鳴ならす入滅にゅうめつを告つげる鐘かねの音ねが、池上のお山やまに静かに響ひびき渡わたります。その時、屋敷前やしきまえの桜の木が季節きせつ外はずれの花を咲かせ、日蓮大聖人の徳とくを讃たたえて偲しのばれたと伝えられています。お会式えしきに桜の花を飾かざる由来ゆらいは、この出来事できごとにあります。

十五日に葬儀そうぎ。その後ご、荼毘だびに付ふされ、日蓮大聖人のご遺骨いこつは弟子でし檀だん信徒しんととともに池上の地をご出発し、二十五日に身延山にご到着。そして、ご遺言ゆいごんどおり、御草庵ごそうあんの後うしろに埋葬まいそうされたのです。

日蓮大聖人

日蓮大聖人が入滅された東京池上の地には、大本山池上本門寺、本山大坊本行寺があります。本門寺には大聖人のご遺骨が分骨され、大坊本行寺には大聖人寄り掛かりの柱が祀られています。

六老僧

日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の六人の弟子が日蓮大聖人のご入滅を偲ぶ姿が現されています。

経一丸

日蓮大聖人の遺言である京都の布教を託された経一丸。後の日像上人。

大曼荼羅とお釈迦様と法華経

枕辺には弘安三年に顕された臨滅度時大曼荼羅、伊豆流罪中に寄進された釈迦立像、妙法蓮華経八巻が祀られていました。

季節外れに咲いたお会式桜

日蓮大聖人がご入滅されたとき、大地は振動し、庭先には季節外れの桜が咲き誇ったと伝えられています。